無目的日記昼凪

暖かい日差しの中の海、波ひとつないどこまでも続く平穏な地平線

同居人が家を出た途端暴風雨 心配になって連絡してみると、傘が壊れたという返信あり そりゃそうだよな あんなにすごい雨と風 悪いけど想像してちょっと笑っちゃった

わたしは会話というものを悩み相談、あるいは意見交換と捉えているのかもしれないな だからわたしには話すことがない わたしは人の意見を聞く気はないんだなとちかごろ思う それはとても寂しいことだし愚かなことだと思うけど、事実そういう気がないと見える もちろん参考にはするが、人はだいたいそんなこともう分かってるんだよなーということしか言わない あたりまえだ だって情報量が違うんだもの 情報をより多く持っている、それについてより時間を割いている自分が考えたことが一番それらしいに決まっている その上自分自身なのだし自分好みの意見をくれるのはとうぜんじゃあないのか それじゃ人はなぜ相談をする? わからない

酒を飲んでいてすこし酔ってきたタイミング、何か話したいけれど話すことがないとき、わたしはよく偽の相談をする 自分自身おおよそ検討がついていてもう終わった話題をわざわざ掘り返してきて、今悩んでいるふうを装って相談というていで会話のタネにする
相談されて、その答えに対してワーッなるほどーッて言っときゃ悪い気はしないだろという感じである これがもう少し酔ってくると、何段階か「でも」が入ってきて、ちょっとめんどくさいやつになる それでも最後はなるほどで〆るのだが

これは、わたしは共感し合うことに対して嫌悪感があるため、共感による会話を封じられている状態だからだと思う 会話ってのは共感か相談だよなあ 討論という側面もあるけれど、これは相手と話題を選ぶ その人自身に近すぎるトピックでの討論は共感の話に繋がってしまうし、そもそも信頼関係のない相手とは対立構造を深めてしまうように思う 会話というものはかくもむずかしい わたしには人と話したいことが何もない