無目的日記昼凪

暖かい日差しの中の海、波ひとつないどこまでも続く平穏な地平線

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ルサンチカ『GOOD WAR』、公演二日目にして楽日

一年前にはこんなふうになるとは思っていなかった、のかもしれない
公演を行うか、延期するか、中止にするか お客さんを入れるか、配信をするか、しないか 稽古を続行するか、しないか
さまざまな要因があって、さまざまな選択があるなか、ルサンチカは今年も予定通りの全稽古日程を終え、ここ京都府立文化芸術会館で公演を行うことができそうだ

三年間のU30支援プログラムが、予定されていた全3プログラムを終え今年で一応で終了する
一人一人別個の存在である「誰か」のモノローグの、重ねの重ねの重ね 一言でいうと、それがこの三年間の作品だった
一年目、朗くんと二人きりで制作を行い、二年目は綾子さんを加えて三人での制作、そうして三年目の今年、出演者に伊奈さん、諸江さん、残さんを加え四人となり、他にも協力者の古川さんや制作の沢さん、美術の辻さんや府立文芸の技術スタッフのかたがたも加え、メッセージを媒介するひとや方法も増えずいぶんと大所帯になった
共に戦う仲間が増えたようでなんだか嬉しくもこそばゆい気分だ

「GOOD WAR」とはなんだろうかとずっと考えていた
わたしは「GOOD WAR」というタイトルがとても気に入っていて、まずはその言葉そのもの、「よい」「戦争」
まずこれは、わたしは自分の人生をよい戦争にしたいと思っているから
もう一つは「GOOD LUCKになんか似ている」というところ
争いというもの、少なくなく、当人にとっては切実なものだが他人にとってはどうでもいいことであるという側面があるように思う
グッドラックという言葉に秘められる、祈りとしての側面と、翻っての無責任さ
それはどこか、舞台に上がる人を見送るときの気持ちに似ている

GOOD/BADが主観でしかない以上、わたしにとってのGOOD WARはわたしだけのGOOD WARで、同時に他人にとってはBADであるということはままあるだろう
そう考えていて、あるとき、GOOD WARとはつまり人生のことではないかと思った
人生に良いも悪いもないけれど、それでも「いいもの」にするためには戦い続けなければならない
覚悟を決めろ・選べ・信じろ・後悔するな 言葉にするとずいぶんと乱暴だが、そう唱え続けること

今日のこの日もいつか「あの日」になる
けれど今、GOOD WARを続けなければあの日にもたどり着けない気がする 
これからも、わたしはわたしのGOOD WARを続けます だからあなたは、どうかあなたのGOOD WARをたたかい続けてください
わたしからは以上です


以上が当日パンフのため書いた文章
なんか違うなと思って掲載時にはすこし削った
今になってみると、この三年間の三作品、全てが「GOOD WAR」だったし、「SO LONG GOODBYE」だったし、「PIPE DREAM」だったなと思う

公演が終わった
庭のくだりが好きだった ひろいお庭はもうなくても、こんなちっちゃいベランダででも自分を慰めて、生活は続いてゆくから
カメラと銃、いつもカメラを選んだねのくだりも好きだった わたしもいつも何かを天秤にかけてカメラを握っているから

この三年間の企画では、テキストにはインタビューの文字起こしを使っていて、言葉はできるだけそのまま、変更なしで使用している
文字起こしを見ていると、ひとの話し言葉というのはずいぶんと正しくなくて、適当で、あやふやだなと思う
それでもそれを校正・公正しないこと
今年のテキストには3年前からのインタビューも含まれており、いつの間にか、語彙の偏りやリズムの波、文字起こしの言葉尻だけで誰のものかわかるようになっていた
声が空間に漂って、そのままフと消えてゆく
嫌というほど聞いたのに、さいご、それをすこし残念に思った もうすこしだけあの時間が続いて欲しかった

お客さまを送り出した後は、集合写真を撮って、楽屋で寄せ書き(と言われたがこれは寄せ書きなのか? サイン帳?)を書いて、バラして解散 あっという間だった
12月からの2ヶ月とちょっと、二日にいっぺんくらいの頻度で会っていたひとたちとスンと会わなくなる
さみしいなあと思うが別れてみるともう忘れている あっという間に思い出になってしまった