無目的日記昼凪

暖かい日差しの中の海、波ひとつないどこまでも続く平穏な地平線

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稽古前、朗くんとふたり、企画の最初に立ち戻って考えてみる いったいなにがしたくて、なにをすべきなのか

「私たちは(今ここでは)声を上げられないけど生きている」ということについて考える
朗くんは「戦争をしたくない」らしい。その「戦争をしたくなさ」は、イコール運の悪さで死にたくないということらしい 友人知人が招集されたら嫌だとも言っていたな
SO LONG GOODBYEをやって、「俺たちは商品だ」「飼い慣らされている」と思い知った。俺一人の力では戦争を止めることはできない(と思っている)

「なんで戦っているのか」「なんで戦わされているのか」が気になる
「何の当事者であるか」が重要 そうだな わたしもそう思います
モニュメントは「その時まではその人はいた」という証明=情報(には違いない)

クレジットやエンドロールの話をしていて、そうか、クレジットは証明なのだなと思った
映画のエンドロールって、なぜだか一つの生の終わりみたいな感じがする お葬式っぽい儀式感もあり

「今回の公演(モニュメント)を使って、お客さんに何を共有するのか」それが重要
「今、俺たちの周り」で何が起きていて、何と戦っているのか それを(インタビューの中から)拾っていく必要がある

わたしは戦う人に幸あれと思っているんだなと気付いた
戦いを避けて生きていくな、戦って生きてゆけと心のどこかで思っている

デーヴ・グロスマン、ローレン・W・クリステンセン著『戦争の心理学』をぱらぱらとめくっていると、これは、争いというか、戦いについての本なのではないかという予感がある 一人一人の戦い 争いというのは団体戦に思えるな
朗くんはこの作品において「争い」と「戦い(あるいは闘い)」は同じです(同じ意味で使います?)、と言い切っているが、わたしにはどうにも違うもののように思えてならないのだった


朗くんの「今日という日はいかがですか?」の言葉から稽古開始
各々今日一日の出来事や感じたことを話してゆく
インタビューの文字起こし原稿を読んで「どの辺が印象に残ってる?」
立って読んだり、そばに人間を配置したりして発語してみる

次は、昨日のゲームの実践
京都市役所を中京区から移転させます。誘致先についての投票会です。」
伊奈さん、諸江さん、残さんがそれぞれ南区、下京区、北区の代表として登壇し、プレゼンし合う
投票者は朗くん、綾子さん、わたし
中間投票を経て、もう一度プレゼンを挟み、最終投票という流れ
下京区の諸江さん 交通の弁のよさをアピール。確かになと思う
北区の残さん 昔のデートの思い出から、北区に対する愛情をアピール 役所誘致とはあまり関係がない
南区の伊奈さん 交通の弁も悪くなく、高速道路が走っていることをアピール 市民にとって高速道路はあまり関係がないのではないか 同じように交通の弁をアピールした下京区に比べて土地が空いていることをアピール それはいいかも 
中間投票では各区一票ずつとなり、簡単な質疑応答タイムを挟んで二度目のプレゼン、投票へ 
結局諸江さんが代表した下京区に移転作は決定した  
綾子さんは残さんの北区に投票しており、「みんながガツガツやってる中、残さんの”ウィズコロナ”と言う言葉がスッと入ってきた」とのこと わたしも残さんの「北区のクリーンエアー」と言う言葉は印象に残っています 
なかなか面白いゲームだった 戦略が重要 

続いて、死の証明/存在証明について 
「死の証明」って、死んでいませんよ、の証明? 逆に、死んでいますよ、の証明? と混乱する 
「死んでいる人に対して自分(私)が生きていることを証明する/自分(私)が死んでいることを生きている相手に証明する」これってすごく難しそうだ
存在証明ってよく聞くが、具体的にはどう言うことなのだろう そりゃ人によって違うんだろうが、体系化するとどういうものになるのか
「危ないことをする?」 ヤンキーみたいだな しかしなるほどヤンキーの行為は存在証明かもしれないと思う 
証明は人に見てもらうことが重要 注目を集めること 音を鳴らす、声をあげる、屯する、自傷する、など なるほど 
残さんの存在証明といえば、「胸元に手を持っていって鼓動を確認させる」 確かに シンプルだけどそうだなと思う その発想はなかった 

最後に、伊奈さんの「あの日」についての話
死の匂い、夏、蒸した日 伊奈さんは足元がふわふわしている

稽古終了
WEBに載っている文章を読み直していたら、戦いてのは、生活のための戦士というか、職業戦士というか、そういうのもあるよなと思った